モロゾフの活動と日本でのバレンタインデーの広まりの歴史には、深い関係があります。
バレンタインはどのようにして始まったのか、モロゾフ創業時からの活動とともにご紹介いたします。
1932年
1931年、神戸トアロードのチョコレートショップからスタートしたモロゾフ。日本ではまだチョコレートそのものが珍しかった時代に、本物のおいしさにこだわった高級チョコレートを世に送り出しました。芸術品のようなボックスに眠る美しいチョコレートは、当時の人々にとって、ドレスや宝石といった贅沢品と同じように、心ときめくあこがれの存在でした。
翌1932年、モロゾフは日本で初めて〝バレンタインデーにチョコレートを贈る〟というスタイルを紹介。「欧米では2月14日に愛する人に贈りものをする」という習慣を米国人の友人から聞き知った創業者が、この素晴らしい贈りもの文化を日本でも広めたいと考えたことがきっかけでした。
チョコレートでできたハート型の容器にファンシーチョコレートを入れた「スイートハート」と、バスケットに花束のようなチョコレートを詰めた「ブーケダムール」。当時のカタログにも掲載されているこのふたつの美しいバレンタインギフトは、大切な人への想いを伝えるにふさわしい特別な贈りものとして、人々に夢とロマンを与えました。そしてこのたび新たに、1935年2月、英字新聞ジャパンアドバタイザーに掲載した、モロゾフによる日本初のバレンタインチョコレート広告が見つかりました。これまで把握していた広告よりさらに前のものです。特に目を惹くのはバレンタインデー前日の大きな広告。ハートボックスのチョコレートと男女の手、それを周囲で見守る愛のキューピッドたちが描かれた、それは華やかなデザインです。以来、太平洋戦争開戦前の1940年2月まで6年間にわたり、毎年バレンタイン広告を掲載していたことも明らかになりました。「バレンタインデーには愛する人にチョコレートを贈って愛を伝えましょう」というロマンチックなアピールで、昭和初期の新聞を彩ってきたモロゾフ。西洋文化が花開く港町神戸の企業ならではのマーケティングでした。バレンタインデーが浸透した今もモロゾフは、贈る人、贈られる人の想いを大切にしたチョコレートで、たくさんの愛を伝えつづけています。
1984年
バレンタインデーの贈りもの文化を大切に育みたいと考えたモロゾフは、そのルーツを探し、1984年、中世の面影を色濃く残すイタリアウンブリア州テルニ市に辿り着きます。
〝グリーンハート〟と呼ばれるイタリア中部の緑豊かなウンブリアにあるテルニ市は、ローマ時代に生きた恋人たちの愛の伝説が今も息づく町。数々の恋人たちをしあわせにしたという聖バレンチノの命日2月14日を「愛の日」とし、この日に愛する人に贈りものをするという習慣が生まれたと言われています。
愛の聖人が眠る聖バレンチノ教会には、今もバレンタインデーに多くの人々が訪れて祭壇の聖人像に祈りを捧げます。そして愛する者同士互いに贈りものを交換し合うのだそうです。その美しくあたたかな愛の日の起源を、モロゾフはこれからも正しく伝え続けていきます。
1993年
イタリアのテルニ市と、モロゾフが生まれた神戸市。遠く離れたふたつの町は、モロゾフが大切にしてきたバレンタインという愛の物語によって出会い、あたたかな絆を結びました。
1993年にテルニ市から神戸市に贈られた「愛の像」は、「布引ハーブ園」に飾られ人々に親しまれています。母と子が見つめ合う姿は、時代や国境を超え、すべての人にとっての愛の象徴。同年この像をきっかけに、モロゾフは世界中の子どもたちの未来がしあわせであるようにとユニセフへのサポートも始め、今も継続しています。
2010年にはテルニ市からモロゾフへ、愛と友情の証であるトロフィーが贈られました。
2013年
バレンタインで結ばれたテルニ市、神戸市、そしてモロゾフの絆により、2013年5月、阪神御影駅南側に新たなバレンタインの聖地としてバレンタイン広場が完成し、隣接する阪神御影南口バス停をモロゾフがチョコレートをイメージしてリニューアルしました。
5月3日には、テルニ市からジローラモ市長を迎え、盛大に記念式典が行われました。
広場にはテルニ市の地図や聖バレンチノ教会のモニュメントなどが設置され、日本のバレンタイン発祥の地にふさわしい記念広場となりました。
2016年
2016年秋にはテルニのすぐ近くでイタリア中部地震が発生。過去に阪神・淡路大震災を経験したモロゾフは、被災した方々のために迅速にお見舞い金を届け、絆をさらに深めました。人と人との想いをつなぐ、愛の贈りもの。モロゾフはこれからも、心あたたまる贈りもの文化を育てていきます。