日本のバレンタインデーは
モロゾフから始まりました

モロゾフの活動と日本でのバレンタインデーの広まりの歴史には、深い関係があります。
バレンタインはどのようにして始まったのか、モロゾフ創業時からの活動とともにご紹介いたします。

1932年

モロゾフは日本で初めて
バレンタインチョコレートを発売しました

戦前のレトロモダンな「ファンシーチョコレート」
  1. 戦前のレトロモダンな「ファンシーチョコレート」

モロゾフが生まれたのは1931年(昭和6年)8月。西洋文化の洗礼を受けた港町神戸で、お洒落でハイカラなチョコレートの製造販売を始めました。翌1932年には日本で初めてバレンタインチョコレートを発売。当時のカタログには、ハート型のチョコレート容器にファンシーチョコレートを入れた「スイートハート」、バスケットに花束のようなチョコレートを詰めた「ブーケダムール」が紹介されています。
モードな香りに満ちた写真とコピーは、人々を夢中にさせたとか。今から80年以上前、モロゾフの創業者は米国人の友人を通じて、2月14日に贈り物をする欧米の習慣を知りました。

そして、この素敵な文化を日本を広めようと力を尽くしたのです。1936年には英字新聞ジャパンアドバタイザーに日本初のバレンタイン広告を掲載しました。同年の2.26事件を皮切りに戦争が暮らしに影を落とし始めた時代、モロゾフは愛とロマンに満ちたメッセージをチョコレートに託して発信し続けました。
やがてバレンタインデーは「チョコレートで想いを伝える愛の日」として女性たちの支持を集め、誰もが知る国民的イベントになりました。そして今では「チョコレートを通じて人と人との心の絆をつなぐ日」として、さらに大きな素晴らしい愛の日に成長したのです。

1984年

イタリアのテルニ市
愛の日のルーツである、聖バレンチノ教会に出逢います

愛の日のルーツである、聖バレンチノ教会に出逢います

1970年代後半、年ごとに盛況になっていくバレンタインデーに「チョコレート会社の陰謀説」がささやかれ始めました。モロゾフは、日本で初めてバレンタインチョコレートを発売した誇りを胸に、ルーツ探しを始めます。
そして1984年、「グリーンハート」と呼ばれる緑豊かな地に辿り着きました。
イタリアウンブリア州、テルニ市にある「聖バレンチノ教会」と運命の出逢いを果たしたのです。人々が大切に伝えてきた「聖バレンチノ司教の物語」こそがバレンタインデーの原点。この地で始まった「2月14日に愛する人に贈り物をする習慣」がヨーロッパ全土に広がり、やがて海を越えて日本に届きました。
この出逢いに核心を得て、テルニ市や聖バレンチノ教会との親交を深めながら、モロゾフはバレンタインデーの正しいルーツ紹介に取り組んできました。

1993年

バレンタインがつなぐ
テルニ市、神戸市、モロゾフの絆

左)テルニ市から神戸市へ贈られた「愛の像」(アウレリオ・デ・フェリーチェ作/神戸布引ハーブ園) 右)テルニ市よりモロゾフへ贈られたトロフィー(アルナルド・ボモドーロ作)
  1. 左)テルニ市から神戸市へ贈られた「愛の像」(アウレリオ・デ・フェリーチェ作/神戸布引ハーブ園)
  2. 右)テルニ市よりモロゾフへ贈られたトロフィー(アルナルド・ボモドーロ作)

バレンタインで結ばれたテルニ市と神戸市。モロゾフはふたつの街の交流にも力を注いできました。1993年には、テルニ市から友好の証として「愛の像」が神戸市に贈られ、現在は布引ハーブ園で多くの人々に親しまれています。母と子が互いを見つめ合う姿は、かけがえの無い愛の象徴。モロゾフは、世界中の子供達の未来が幸せであるようにと願い、ユニセフへのサポートもスタートしました。そして、2010年2月には嬉しい出来事が起こります。長年に渡る日本でのバレンタインデー普及活動への感謝を込めて、テルニ市からモロゾフにトロフィーが授与されました。

2013年

バレンタイン広場とチョコレートを
イメージしたバス停が完成しました

ジローラモ市長を迎えた記念式典の様子
  1. ジローラモ市長を迎えた記念式典の様子

バレンタインで結ばれたテルニ市、神戸市、そしてモロゾフの絆により、2013年5月、阪神御影駅南側に新たなバレンタインの聖地としてバレンタイン広場が完成し、隣接する阪神御影南口バス停をモロゾフがチョコレートをイメージしてリニューアルしました。
5月3日には、テルニ市からジローラモ市長を迎え、盛大に記念式典が行われました。
2月14日のバレンタインデーはチョコレートを通じて愛や感謝の気持ちを伝える日として、国民的イベントに成長しました。日本のバレンタインデーはモロゾフから、そしてモロゾフと共に。

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